岡崎城・徳川家康公の遺言碑
2010年9月 4日
岡崎市は徳川家康公生誕の地であり、三河武士発祥の地です。
戦国時代に生まれた家康公は、幼き頃14年間も人質にとられるなど、不遇の時代を送ってきました。
人質時代を終えても、長男を切腹させられたり、次男を人質にとられたりと、
乱世による不幸な出来事は続きました。
その後徐々に実力をつけ、その存在感を大きくしていき、
豊臣秀吉の死後、天下を統一して幕府を開きました。
その家康公の遺言がこちらです。
「わが命旦夕に迫るといへども 将軍欺くおはしませば天下のこと心安し
されども将軍の政道その理にかなはず 億兆の民艱難することもあらんには たれにても其の任に代らるべし
天下は一人の天下に非ず天下は天下の天下なり たとへ他人天下の政務をとりたりとも 四海安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより 家康が本意にしていささかも うらみに思ふことなし」
自分はもう死にそうだけど、将軍がいてくれるからこの国は大丈夫だよね(※将軍職は既に息子の秀忠に譲っています)
でも将軍の政治がまずくて、国民がつらい日々をおくるようなことになれば将軍はかわるべきだ
国は将軍のための国ではなくて国民のための国だから、たとえ徳川家以外の誰かが将軍として政治をおこなうことになっても、国民が健やかに暮らすことができるのであれば、それは自分の本意だからうらむようなことは絶対ないよ
実際には自己の子孫の天下を末永く安泰とするのが目的であったのかもしれませんが、
天下が乱れて民が困ることのないように徳川家がしっかりと治めていく、
もし仮に誰かがこれを行ってくれるのであれば、統治者は徳川家でなくともよいとしています。
つまり徳川家が天下を治めていくことに対する錦の御旗が民の、天下の安泰でした。
自分の残したものが原因で、人が争うことを避けたいと思うのは、
いつの時代も、誰であっても同じですよね。
家康公の遺言は、家康公遺言碑として岡崎城に立てられています。
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